先の見えない「コロナ時代」の今、子供にできる「親の役割」とは?
ポスト・コロナ時代の今
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
けいはんなロボット・プログラミングの東山でございます。2020年が幕開けした2月に突然、新型コロナ感染が世界中を駆け巡りました。当初は対岸の火事だと思っていものの、気がつけば国内感染者数も増加し、今まで当たり前だった日常に大きな変更を与儀なくされました。
これまで当たり前だった「移動の自由」や「人と接する」ことが制限されるようになり、巷では「コロナ時代」や「アフター・コロナ」、「ポスト・コロナ」など、と言われる大きな節目を迎えそうです。
また、都市圏(東京都内・大阪府内)では当たり前だった通勤・通学がリモートワークに舵を切り、国内ではほとんど進まなかったオンライン学習にここ数ヶ月で一気に置き換えられていきました。
「集まる」から「離れる」ことが当たり前の社会に移行しそうです。
ポスト・コロナ時代の学び
前述した通り、コロナ後の時代(ポスト・コロナ)はコミュニケーションのオンライン化がさらに加速していきます。これは学びの現場でも、生徒対生徒・教師対生徒・学校対生徒など、それらの間にはデジタルの介入の割合が大きくなるように思います。
これからの子どもたちは、PCやタブレット、スマホが本格的な「学びの場所」となる最初の世代になるかもしれません。そうなると否応なく、ITのスキルは必須となり、保護者のITリテラシーの高さがそのまま、子供の学びの機会に大きく影響する可能性が高まります。
ポスト・コロナ時代の学校
ポスト・コロナになると、学校の存在価値が大きく変わるように思います。日本の学校は「学びの場所」という以上に、学歴や所属・帰属意識など目に見えない付加価値が多く存在していました。
しかしポスト・コロナでは、「集まる」から「離れる」ことが奨励され、集団から個人という単位にさらに色濃くなります。すると、今まであった学校の目に見えない価値は色落ち、「あなたは何ができるのか?」という単純な問いに真摯に向き合う必要がでてくるように思います。
ポスト・コロナ時代の能力
ポスト・コロナでは前述した通り、「集まる」から「離れる」そして「集団」から「個人」へとシフトしていきます。さらに、人・モノ・カネ・情報を一箇所に集め、効率性を追求した「都市型」の経済システムから、物理的な制約を受けないインターネット型の経済システムへと移行を始めます。
理由に緊急事態宣言後、さらに勢いを強めるネット通販における購買パターンが今後、主流になっていくのは間違いありません。
そうなると、モノを実際に触らず、人と直接、話をすることなく、購買する機会が増えてきます。必然的に企業はセールス(営業)から、ネット・マーケティングへと軸足の比重を変え、AIなどのテクノロジーを土台とした新種のマーケティング手法がさらに増えそうです。
その中で育つ子どもたちにとって、情報(IT)リテラシーの習熟度によって、人生が左右される場面も増えていきます。その「情報(IT)リテラシー」ですが、主流メディアはテレビからインターネットに変わり、テクノロジーの理解なしには、情報提供者側の意図を見抜くことは、まずできないと言っていいでしょう。
ポスト・コロナ時代の子どもにとって、情報技術の理解は、人生を左右するといっても言い過ぎではないように思います。
ポスト・コロナ時代の親
私は3人の息子・娘の親ですが、「ポスト・コロナ時代」に親として何を伝えることができるかと考えた所、結論として「わからない」ということでした。。
ただ今振り返れば幸いにも、リーマンショックの不景気後に、資本力のない会社を立ち上げたことから、否応なくネットを中心とした業務構造を10年以上続けてきました。
私自身、一般の方よりかは情報技術に明るく、自宅にいつも数台のパソコンに囲まれた生活の中、子供たちは無意識に、プログラミング・パソコン・CPU・メモリー・サーバ・センサー・グラフィックボード・多種多少なソフト・オープンソースなどと触れてきたと思います。
そのような環境下で、息子は自然とプログラミングでセンサーを制御することを覚え、パソコンがほしいと言えば、YouTubeの動画を観て、自分でパーツをネットで買い揃え、自作をするほどになっていました。
パソコンを自作したことがない私からすれば、息子のすることは半信半疑でしたが、息子は同じ趣味をもった友人にも支援を受けながら、わずか2日程度でいとも簡単に作り上げました。
その姿に頼もしいと感じた反面、自分の価値観が少しずつズレてきていることも再認識できました。
ポスト・コロナ時代になり、今後の先行きを見通すことが難しい時代。親として間違っていなかったと思うことは、情報技術の環境を整えたことだと思います。資本力のない会社でネットに頼るしかなかったの本当の所ですが、これが功を奏したのではと振り返ります。
ポスト・コロナ時代、「伝える」こと以上に情報技術の環境整備が今後、増々重要になるように感じています。